今日は隣の村の「かかりつけ医」=GPのところまで健康診断に行きました。
家から30分の道のりですが、この道が文字通り「波打って」いるんです!!
妖精が出そう?いえいえいえ、妖精ではなくて、出会い頭に思いっきりでっかいゴミ収集車のトラックに遭ったりするのです。こんな感じです。
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見通しの悪すぎる凸凹道
村と村のあいだの道は、家の前を通っている普通の道に比べると、かなり広く、制限速度は80km。
こういうふうに波打っているばかりか、曲がりくねっているところも多いので、向こうから何が来るか直前まで見えません。
夜の暗いときや早朝や霧が出ているとき、鹿やキツネや馬や羊が飛び出して来ることもままあります。
特に、鹿と衝突する事故は、とても多いです。
早朝や霧の出ている日や、夜遅くに田舎の道を運転するときは、とても慎重に走らないといけません。
家の前の道では、こんなふうに向こうから羊の群れが来ることがよくあります。草を食べさせる場所をときどき引っ越すのですが、そのときは車道を通って行くからです。
だいたいの場合、群れを連れた飼い主は、後ろから来ます。
歩いているときも、車のときも、横に寄って通り過ぎるまで待つのがルール。
羊たちは ガンつけながら通り過ぎていきます。とっとこ、とっとこ。
見た目より、スピードが早いです。
北アイルランドとのあいだに格差が
話が羊のことに脱線してしまいましたね! 道路の話に戻ります….
今ではダブリンを中心にして南北、そして西の大西洋岸へ行く高速道路網が完成しています。80年代半ばまで、ローカル道路が頼りで高速道路網はほとんどなかったのです。
今はダブリンへ行くのに1時間ほどですが、その頃は半日かかりました。
20代後半の若いひとたちも、その頃のことをよく記憶しているそうです。
EUマネーの導入
アイルランドが1973年にEU(ヨーロッパ共同体)のメンバーになったことで、EUから得られる資金で高速道路網が整備できました。
Ireland in the EU
イギリスの領土である北アイルランドでは、ヨーロッパ諸国やイギリス本土と同じように60年代には既に高速道路網ができていました。
そんなところにも明らかに格差があったのです。
そういえば、東京の首都高速道路ができたのも、1960年代でした。
同時に、環七通りも、東京オリンピックに合わせて1964年までに開通していました。
首都高の歴史地図 年代をクリックすると、どの部分ができてきたか、見られておもしろいです。
1962年から1977年までのあいだに、高島平、西は用賀、横浜まで。
1985年までに湾岸、千住大橋、四つ木まで出来ていた!
こんな年代と比べてみても、南アイルランドの道路網の整備がどれほど遅れていたのかが明らかですよね!
日本と比べてみると….
日本と違うことは….
有料道路の区間が一部分に限られていて、そのうえ安い!
先日、大西洋岸のゴールウェイまで、家族で一泊旅行に行きました。
アイルランドの東のほうの地方にある自宅からゴールウェイまで
片道 約230kmほど。
そのうちの一部 M4とN6という2区間のみが有料道路で、支払った金額は
4.8ユーロ 500円ほどでした。
例えば 東京から静岡まで(片道146km )高速料金の料金が
ETCで 普通車でも3000円以上
するのに比べると、わたしたちのような家族連れのドライバーの負担は、比べものになりませんね。
EUメンバー国であることを積極的に評価するアイルランド
国の基礎的なインフラである道路網の整備は、誰の目にも見える成果ですが、このほかにもEUのメンバー国になったことで、アイルランドの人たちの暮らしに大きな影響があったのです。
アイルランドから見ると、一番近い外国=イギリスが、EUを離脱して、これからアイルランドも影響を受けるだろうと予想されています。
それでも、悪い影響はなるべくEUの助けもかりながら乗り越えていこう、というのがアイルランドの立場です。
長い歴史のなかで、イギリスから植民地にされたり、さんざんいろいろな目に合わされてきたアイルランドだから、着々と準備を進めています。
これからも、暮らしのなかの変化があるかどうか、どんな方向へ進んでいくのか、注目していこうと思います。
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