明治元年に作られたダムの湖

 ウォーキングの途中で通る橋は、片側が水面、反対側は浄水場です。
 昨年の夏は、橋を通行止めにして工事をしていました。
 やっと徒歩で通れたときに、新しいぴかぴかの設備が見えました。老朽化した設備の入れ替えです。

ダブリン都市圏の水がめ

 今でこそ湖岸に大きな木が茂って自然の湖のように見えますが、もともとヴァルトリー川をせきとめて作ったダム湖なのです。
 浄水場で処理された水は、ここから近くのウイックローの町と、北にあるダブリン、そして途中のいくつかの町の水道へも送られています。

ダブリン都市圏のほぼ15%、20万人以上の飲料水を賄う、重要な水タンクです。
 

 老朽化したところを入れ替える大規模な工事なので、橋が通行止めで不便でも、地元の人たちはしかたないよねーと我慢していました。

 水道局のホームページには工事予定が書いてありますが(笑)けっこう遅れていて、完全に終わるのがいつになるかも、はっきりわかりませんでした。

 歩いて通ることはできたけれども、車が通れるようになるのには、まだ当分かかるだろうなあ…

 アイルランドのアイルランドらしいところは、こういうときに
終わるときが来れば終わるだろう
 と、のんびり待つところです。

 そうこうしているうちに、年末頃には、すっかりきれいになって、工事が一段落していたようです。

19世紀の遺産

 いつもウォーキングで通っている場所だし、ダム湖っていうことは知っていたのですが…
老朽化って?いつ頃 できた設備なのかな? 

そう思って、少し調べてみました。 
… 実は150年も前の設備が、今でも使われている のです。
 なんと、19世紀の遺産だったのか!! 

…そこで、地元のダム湖 Vartry Reservoir ヴァートリー貯水池 の歴史をまとめてみますね!

1862年(文久2)から1868年(明治元年)にかけて第一段階、続いて1922年(大正11年)に第二段階が完成。
 車がそのまま通れるほど直径の大きなパイプをトンネルのようにダブリンまで通す工事は、人の力で掘ったものです。

 今でも村にはパブが5軒もあって小さな村のわりにはパブだらけに見えますが、実はそのダム工事に働きに来た人たちの宿泊施設を兼ねていたそうです。
 いま、わたしたちが歩いている橋の横の取水塔が1922年に完成したときの姿を映した映像がありました。

イギリスの植民地だったアイルランド

 ダムの建設の進んでいた1862年(文久2)〜1868年(明治元年)〜1922年(大正11年)という時代、アイルランドはイギリスの支配のもとにありました。
 イギリスのアイルランド支配は12世紀のノルマン人侵攻に始まりましたが、1800年には「連合法」を制定して、1801年(寛政13年)グレートブリテン王国がアイルランドを併合し、グレートブリテン及びアイルランド連合王国となりました。つまりこのときからアイルランドは近代国家として正式にイギリスの植民地にされてしまったのです。
 それからの歴史を簡単に見てみましょう。

12世紀 イングランド王国による植民地支配の開始
1801年 グレートブリテン王国がアイルランドを併合し,グレートブリテン及びアイルランド連合王国(以下「英国」)となる
#1862年〜1868年 ヴァルトリーダム建設 始まる
1916年 イースター蜂起(独立を目指す武装蜂起。英国軍により鎮圧。)
1919年~1921年 対英独立戦争 
   #1922年 ヴァルトリーダム建設完成
1922年 英連邦内の自治領「アイルランド自由国」となる。北部6県(現在の北アイルランド)は英国領にとどまった。
1949年 英連邦を離脱し,共和制に移行
1955年 国連加盟
1973年 EC(後のEU)加盟
1998年 北アイルランドに係る和平合意(通称:「ベルファスト合意」)成立
1999年 ユーロ導入(ユーロ創設メンバー)

 このヴァルトリーダムができたのは、ちょうどダブリンで独立を目指す武装蜂起ーイースター蜂起ー が起こり、独立戦争を経て、やっと英連邦内の自治領「アイルランド自由国」としての地位を獲得していった時期だったことがわかります。

完成当時の取水塔

ジョン・グレイの仕事

 アイルランドの西のマヨ州 クレアモリスで1816年(文化16年)に生まれ、1839年(天保10年)にスコットランドのグラスゴー大学を卒業して医師になったジョン・グレイ Dr.John Grayは、ダブリンの街中のスラム化した集合住宅の非衛生さ、感染症や伝染病の蔓延する状態をなんとか改善できないものかと考えました。清潔な飲料水があれば、コレラやチフスを防いで生活環境を改善できます。

 1841年、ジョン・グレイはアイルランド独立を求める新聞 Freeman’s Journalの共同経営者となり、さらに1850年には社主になって、値段を安くして部数を伸ばしました。
 その頃、ダニエル・オコンネルDaniel O’Connellが、イギリスの支配下で厳しい差別を受けていたカトリック教徒の権利回復運動を進めていました。
 さらに1830年代から1840年代にかけて英国・アイルランド合併撤回を求めるリピール運動を進めていました。
 1800年連合法の廃止を願ったものでした(結局、実現には至りませんでした)。
 新聞での論説を通して、オコンネルのリピール運動に協力したジョン・グレイは、1849年には懲役9ヶ月の判決を受けましたが、服役はまぬがれました。
 その後、ダブリン市議会に当選したことで積極的にヴァルトリー貯水池計画を推し進めることができたのです。

 ヴァルトリー貯水池の完成でダブリンに清潔な水道水を送ることができるようになったので、コレラやチフスなどの流行をようやく防ぐことができるようになりました。
 ジョン・グレイは、この功績によって叙勲。
ナイトを授与されてサー・ジョン・グレイになりました。
 その後も政治家として教育や土地改革など、イギリスからの独立を目指すアイルランドの政策の方向づけに関与しました。1875年(明治8)没。
 アイルランドに貢献した人物のひとりとして、ダブリンの中心のオコンネルストリートに銅像が立っています。

自然を楽しむ遊歩道

 今回のダム湖の工事が始まるまでのプロセスとして、4年ほど前から湖岸の自然環境を保護することが地元に約束され、遊歩道が整備されました。それまでも湖岸の小径を地元の人たちが散歩していましたが、野鳥や植物の案内板や歩きやすいトレイルや地図ができて、村の外からもたくさんの人たちが訪れます。


 ダブリンから日帰りできる超有名な観光地 グレンダロッホへの通り道ですし、ウイックロー山地の国立公園も控えた場所なので、ヴァートリーダム湖は地元にとって重要な観光資源です。

 遊歩道整備プロジェクトの完成した2018年6月には、レオ・ヴァラッカー首相が開通式に訪れました(テープカットしている背の高い人がレオさんです)。

 村でも子ども向けの自然教室として野鳥やコウモリの観察会をしたり、湖岸に植林をしたりしています。毎年年末にはチャリティーバイアスロン大会で湖の周りを歩いたり走ったりしますし、夏祭りにはカヌーレースの会場になります。

 生活の場にとても近い自然を育て守ること。山と水と木々。
歴史の遺産でもある、この湖を自分の庭のように楽しめるのは、とても幸せなことです。

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