廃墟になった村と壮大な景色と

先日、いつものコースから、少し足を延ばして、
飢餓時代の村 Famine Village
のほうへ歩きに行ってきました。

以前にも、村の夏祭りのときに、地元の人の案内でグループウォーキングで行ったことがあるのですが、今回もういちど歩いてみて、
なるほど! ここの道が、あっちへつながっていたのかー!
と納得できました。

地元の地図が、だんだんとモザイクみたいに、充実してくる感覚。
なんだか嬉しいです。

羊が逃げない仕組み

いつもの裏山のウォーキングトレイル ウィックローウェイは、林道を通ったり、高原の上を横切る道だったりと、変化に富んでいます。
ところによっては、放牧地の端を通らせてもらうところもあります。

そんなときは、土地の境目に、こんな通り道が設けてあります。

よっこらしょ。

良い天気が続いているので、牧草地の草がぐんぐん伸びています。

牧草地の向こう側は、林の中を登る道。

さらに山の中腹の林道をまっすぐ進みます。

廃墟になった村

林道をつきあたりまで行くと、土地の人たちが
Famine Village 「飢餓時代の村」
と呼んでいる廃墟が姿をあらわします。

林のなかの少し開けて平らなところに、ずいぶん大きな家だった感じの石組みが、半分崩れたように残っています。
2つの家が、中庭を囲んでいたのでしょうか。

この集落に住んでいた人たちは、大部分が「大飢餓」の時代に、この土地を離れてカナダへと移民したそうです。
それでも1950年代までは細々と暮らしていた人たちがいたそうです。

アイルランドの人たちの記憶に深く刻まれている「大飢餓」の時代

19世紀中頃にアイルランドを不幸のどん底につき落とした「大飢餓」Great famine、別名「ジャガイモ飢饉」は、今でもアイルランドの人たちの心に、国民全体の共有する記憶として深く刻まれています。

主食だったジャガイモの疫病が原因となった大飢饉によって、貧困と飢餓に苦しんだ時代。

そのころアイルランドを植民地として支配していたイギリスは、積極的な対策を講じませんでした。
そればかりか、アイルランドの人たちが食料が足りないなかで、農産物=食料の輸出を続けたのです。

その結果、アイルランドの当時の人口約800万人のうち、
少なくとも8分の1が餓死・病死
約4分の1は生き延びるために海外へと大量に移民したのです。

この過酷な「大飢餓」の時代を乗り越え、さらにはイギリスからの独立を戦い取ったところに、いまのアイルランドの「根っこ」があるのです。

辛い歴史を乗り越え、今の暮らしを作り上げてきた誇りが、アイルランドの人たちの心の底に暖かい灯火のように燃え続けています。

こちらも合わせて、ご覧くださいね。
飢餓と移民の歴史を踏まえて、今のアイルランドがある

林を抜ける道を辿ります

集落の跡の後ろは、針葉樹の林です。
その林のなかを、さらに抜けていくと、間もなく尾根の向こう側へ出ました。

ウィックロー山地の山々と2つの湖(Lough Tay  とLough Dan)、湖を結ぶ谷を見渡す景色が広がりました。

こちら側にも、昔は家だった石積みの趾が残されています。

10.8kmのウォーキングでした

いつものコースからちょっと外れて、歴史散歩。
雄大な景色を眺めながら、
「こんなに奥まったところで、昔の人たちはどんな暮らしをしていたのだろうね?」
と話しました。

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