Van Goghの展覧会を見終わって出て来て、ふと見ると、横の部屋でもうひとつの催しをやっていました。
(そのときまで知らなかったのですが・・・)
ふと、中に入って見ると、暗い会場の壁いっぱいにポートレートの写真が・・・ 1メートル四方ぐらいある大きな写真で白黒の写真が多く、正面からじっと見つめる視線の迫力がすごい。
実はDenis Rouvreという写真家が 3.11のあとに被災地で撮ったポートレート群の展示だったのです。
# Denis Rouvreのサイトで作品が見られます。 Low Tide ここをクリックしてください
# また、この作品群は、2012年2月 アメリカの雑誌New-York Times Magazineに取り上げられ、注目を集めました。記事はこちらから見られます。
写真はこちらでも見られます。 Faces of the Tsunami
http://www.nytimes.com/slideshow/2012/02/26/magazine/japan-tsunami.html?ref=magazine#1
淡々としているように見える顔。やさしい、やわらかくさえ見える顔も、かすかに微笑みをうかべているように見える顔もあります。
年老いたひと、憮然としているひと、若いひと、子どもを抱えたひともいます。
そして、それぞれの写真に、「早坂勝良 仙台市」 「石森きよこ 石巻市」「山本イクコ 南相馬市」「菅野キク子 陸前高田市」・・・と名前がついています。
ところどころに、人のいない、何も残っていない被災地の光景。
陸地のまんなかに転がっている大きな船。
そして、写真家がこの方々から聞いた話の抜粋。
「雨や雪・・・溶けた雪のせいでとても寒かった」
「瓦礫を全部取り除くのに五年かかると言います。とりあえず家の土地で白菜とブロッコリー、カリフラワーを作っています」「自宅はあとかたも無くなりました。夫を亡くしました。私は何もかも失いました。写真もです。顔見知りの人がたまたま一枚見つけて私に下さいました」・・・
そして、会場のいちばん奥のところに、写真家本人による説明の文章が フランス語、英語、日本語で掲げてありました。少し長いですがカタログから引用します。
(・・・)私は2011年11月と2012年2月に現地を訪れた。そこで何をするのかあらかじめ考えてはいなかった。(・・・)私は最も被害の大きかった400kmに及ぶ沿岸部を見てまわった。
そこを支配していたのは極度の悲嘆であった。
巨大な津波は何ひとつ容赦していなかった。
私はじっくり考えることなく目に入る光景を写真に撮った。この天災の実態を理解するには時間がかかると確信したからだ。
破壊されつくしたこの地で何が起きたのか証言してくれる人はそこには誰もいなかった。
死のような無人の地だった。顔のない、声を持たない地。
そこで私は、以前そこで暮らしていた人たちに会いに行こうと思った。
大災害のあと、 住むところを失った人たちのために建設された仮の住まいー仮設住宅ーがある地区へ足を運んだ。(・・・)こうした人たちの私生活に無遠慮に入り込むことになるという自覚はあったが、彼らの写真を撮りたい、彼らの言葉を拾いたい、という強い欲求につき動かされて、何人かの人たちが心を開いてくれるまで私は住宅のドアを叩いた。
皆が私を迎え入れてくれたわけではない。集会所にこしらえた写真スタジオに同行してもよいと言ってくれた男女は、間違いなく、生きようとする気持ちが何よりも強かった人たちであったろう。
とはいうものの、彼の顔に私が読み取ったのは仮借のない現実だった。
それぞれの異なる人生の陰影が刻み込まれた非情な現実だった。
その一人一人の顔つきは、一つ一つの被災地に呼応していた。どちらのピースももう一方のピースとしかかみあわない2ピースのジグソーパズルのように呼応していた。
しかし彼らは打ちのめされていなかった。
受けたばかりの試練に打ち崩されなかった彼らは、なおもこれからの試練に立ち向かおうとしていた。
彼らの証言に関して言えば、それは私にとって、彼らのポートレート写真やカオスと化した土地と同じだけ大変重要なものになった。(・・・)ここに見る人生の断片の中には、悲嘆、諦め、痛み、不安が隣りあっている。
この、弱さと力の微妙にして胸が張り裂けるような共存を目の当たりにして、私は、世界のただ中に身を置く人間がこの先どうなるのかと自問するとともに、逆境を前に人間が発揮し得る精神力の大きさを理解した。これは、自分たちが今ここに行きていることを世に知ってもらいたいと願い、再び生きる道を探し求めているこれら一命を取り留めた人々の歩みである。
私が心から分かち合いたいと願い、敬意を表する歩みである。
Low Tide Le Japon du Chaos カオスの日本, Somogy Éditions d’art, Paris, 2012.
被災の現場を遠く離れたところにいる人たちは、押し寄せる津波の映像 テレビに繰り返し写し出される「顔のないニュース画像」を見ていたのでした。
オーストリアにいた、わたしも含めて。
写真家Denis Rouvreは、被災地でひとりひとりの人から話をきくことで、ひとりひとりの顔にあらわれるものの底にある意味を知りたいと願ったのですね。
「日本人はあんな酷い状況にあってさえも尊厳を失わなかった」というようなことが、「外国からの声」としてよく言われた。
「尊厳」とは何だろう。何もかも亡くして命からがら生き延びた人々の、この顔に「尊厳」ということば以外のことばが見つかりません。
「彼らは打ちのめされていなかった、試練に打ち崩されなかった、立ち向かおうとしていた」と写真家は言うけれど、自分の部屋に帰ったら打ちのめされて崩折れていたかもしれない。
それでもこの方たちは写真家の呼びかけに応えて足を運んで、話をされた。写真家はそこから生きる意志を感じ、フランスの、世界のひとたちにそれを伝えたいと願った。 そのやりとりのあったことが、尊いと思いました。
そしてまた、「旅する伝統の日本、美しい景色を愛でる日本」を広重で見せる展示、「新鮮な時代、新しい構図を求めて日本を夢見たゴッホ」を見せる展示・・・それと同時に「津波から、原発から生き延びて生き続けようと願う、この方々の顔と証言」を丹念に集めた写真家の仕事を見せるという企画が、日本の今を生きるわたしたちへ向けて発せられる フランスからの大切なメッセージであるように思えました。
・・・ そんなわけで、この3つの展覧会が、ひとつのものになって「腑に落ちた」パリ滞在の第一日めだったのです。
———
この作品群は、2012年2月 アメリカの雑誌New-York Times Magazineに取り上げられ、世界の注目を集めました。記事はこちらから見られます。
写真はこちらでも見られます。
Faces of the Tsunami
http://www.nytimes.com/slideshow/2012/02/26/magazine/japan-tsunami.html?ref=magazine#1
World Press Photoに紹介されました。こちらをクリック
http://www.worldpressphoto.org/photo/2012-denis-rouvre-po-3
コメントを残す